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Prefectural University of Kumamoto
TAKAHASHI Lab.

「日本美」を科学する
Prefectural University of Kumamoto

TAKAHASHI Laboratory

日本人の美意識に関する「環境心理学」からのアプローチ
髙橋研究室では、建築デザインに関する研究・実践を行っています。
また「環境心理学」の範疇にて、「日本人の美意識」美意識に関する研究を続けています。
古の日本人が持っていた、さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという奥ゆかしさの美を 次世代へ継承することを目的に、これまで思想や哲学の分野でしか語られなかった「美」に対し
科学的アプローチでの研究を続けています。
1.日本人の美意識
2.空間デザイン・空間分析
3.空間認知・印象評価
4.茶室空間の研究
日本美を科学する

日本美
日本における「美」を表す言葉は、「クハシ:細(奈良時代)」、「キヨラ:清(平安時代)」、「ウツクシ:細小(鎌倉時代)」、「キレイ:清潔(室町時代)」、と変化して来た。
日本人の美の意識は、清なるもの、潔なるもの、細かなものと同調する傾向が強い。
「かすか」なもの、「ほのか」なものに美を認めるのは、日本の伝統であったと言ってよい。「ひたすらなもの」、「あらわなもの」は避けられた。
平安時代の宮廷で最も高い美の範疇の一つであった「なまめかし」。その意味するところは、「十分の心づかいがされているが、しかも未熟のように見える。」あるいは「さりげなく、何でもないように見える。」であった。
派手で、鮮やかな色や、紅葉の盛りのようなものは「なまめかし」とは言わなかった。
「なまめかし」が、最高の美の一つとして、貴(あて、高貴)と並んで重んじられているのは、まさに今日いうところの日本的な美の感覚の一つが、この平安時代に確立されたということを示すものと見てよい。
同じく平安時代に見られる「あはれ」という美意識は、四季の自然の移り行きに、こまやかな情趣を感じる心であり、また男と女の愛情がはかなく移ってゆくのを悲しむ言葉であった。千年にわたる日本人の美意識の中核として今日もなお生きている感覚と言えるが、残念ながら言葉として、今日そのまま生きて使われているとはいえない。本居宣長の説いた「もののあはれ」も、あらわな表現を避けて、洗礼された繊細さを重んじる美を指す。このように、古の日本人が持っていた、さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという奥ゆかしさの美を、今日の日本人は失いかけている。
日本の建築に見られる美意識も、この「さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという奥ゆかしさの美」を体現するものであり、この配慮は、形(かたち)となって表れている。
「形(かたち)」には意味があり、そこには作者の思いや配慮が込められている。
「形(かたち)」は、「心」の表れだ。
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「美」を科学する
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「美」を理念とする 不確実な時代の道標(本質を知る)
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「美」に生きる
古の日本人が持っていた
「さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという奥ゆかしさの美」とは、
現代では「損」な 考え方であろうか??(効率主義・自己主張→現代の教育、現代の世相)
現代社会の歪(格差、SNS上での言論の過激化等)は、行き過ぎた効率主義が原因ではないか
「理念 (美=善=真)」では食べていけない!?
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GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)には哲学者が在籍
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これはおそらく本質の探究
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松下幸之助、稲盛和夫らは、本質=「美=善=真」を知ることで商売を極めた!?
商売(生きていく)には「理念」が必要
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「理念=日本美」
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「日本美」は万事に通づる
特徴的日本人の美意識への科学的アプローチ(環境心理学) = 日本人を知る
「古の日本人が持っていた、さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという奥ゆかしさの美」
の継承
1.日本人の美意識

「空間」は単なる箱ではない!!
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窓の有無、大きさ、位置で「空間」は変化する
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同じ広さ、同じ形の空間であっても、作者の意図(理念)が反映された空間は全くの別物
「空間デザイン」の本質は「配慮」である。
「空間分析」=「配慮」を読み解く
空間創造(空間デザイン)のための科学的知見
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(空間を知る)
「空間デザイン」本質は「配慮」
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誰かを幸福にする(喜ばせる)行為
「空間分析」
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「配慮を」読み解く研究 → 論拠ある「空間デザイン」へ
2.空間デザイン・空間分析

人間は空間をどう認識しているのか
↓
(人間を知る)
「空間(建築)」は人間のためにある!!
私たちは「何を」「どう」見て (認知して)いるのかの科学的知見を知る
3.空間認知・印象評価

茶 室
空間を凝縮する。
この行為は「空間の本質」を明確にすることに等しい。「本質」で無い要素をきり棄てることである。
利休が大成させた侘び茶の草庵茶室は通常四畳半以下を指し、利休はこれを二畳まで凝縮し、侘びの極致とされる空間を創造した。
極限まで凝縮された空間は、たった二畳という狭さにもかかわらず、無限の広がりを見せ、そこでは濃密で深い親交が交わされた。草庵茶室を完成させた千利休は、この凝縮された空間で、明日の命も覚束ない戦国武将たちと文字通り「一期一会」の時を過ごした。
躙口も利休が創造した。濃縮な時間・空間を過ごすものに士農工商の身分制は関係ないとの思いが、武士の命とも言える刀を下ろさずには入れないような、小さな入り口を創った。この小さな入り口は同時に頭を垂れずには入れない格好でもある。
又利休の茶室空間は、躙口の正面に必ず床の間を設え、客を迎えた。利休にとって床の間は、神聖かつ自己表現の場であった。
有名な朝顔の話。
利休の庭の朝顔が見事と聞き、訪れた秀吉に対し、利休は事前に弟子たちにすべての朝顔の花を摘み取らせる。その庭を見て憤慨した秀吉が、躙口を潜った瞬間、眼に入ってきたのは、床の間に飾られた一輪の朝顔。時の最高権力者に対し、一歩も引かぬ覚悟と美意識。後の利休の終焉も腑に落ちる。
また利休の茶室は、四方をすべてを壁で囲い、せいぜい小さな窓が付く程度であった。最後に入った客は、躙口に掛金をかけることになっていて、 外界と遮断された密室であることが一座の人々により強く意識された。まさに一期一会。一味同心の紐帯が生まれた。
現代人には想像もつかない、濃厚で重く、それでいて心安らかな時間を過ごす「空間」には、「本質」のみが求められた。
利休七哲のひとり織部は、利休とは異なり点前を披露することが茶の湯の趣向の第一とし、点前座をはっきりと視界において躙口を開ける。壁も利休の苆(すさ)をのぞかせる荒壁を黒くくすぶらせた仕様を離れ、色彩も鮮やかな大坂赤壁の色土壁で塗り上げた。壁面には連子窓や下地窓も数多くあけられ、大きさも大きくし、きわめて明るい空間とした。江戸期になり、利休の時代のような殺伐とした空気感は感じられない。
デザインの本質が「配慮」であるとする「眼」から見れば、このような茶室空間は、日本建築における「日本のデザイン」の極致であり、「日本美の象徴」と映る。
ここでの空間構成は「配慮」という理念に貫かれ、「本質」を見い出すべく極限まで凝縮され、削ぎ落され、そして空間の「品格」を伴い昇華されていく。
泰平の江戸期や西洋化の嵐吹く明治期における我が国の先人たちは、このような茶室空間を見捨てず、継承してきた。
先人たちの、慧眼には頭が下がる。
4.茶室空間の研究