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Hironobu TAKAHASHI
Hironobu TAKAHASHI
Profile
南島原市(長崎県)にて建築設計事務所を主宰後、'14年より熊本県立大学にて建築デザインの教育・研究に携わる。建築デザインと空間研究より「現代空間美学」を提唱。建築における「美」の重要性を説く。現在、日本建築における茶室空間の調査及び空間分析を進め、日本人の美意識に底流する「さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しない奥ゆかしさの美」を探求。
テレビ番組「大改造!!劇的ビフォアフター」4回出演。
'22年度「グッドデザイン・ベスト100」受賞。'08年 日本建築学会九州支部「建築九州賞」 佳作。 '96年第5回長崎県木造住宅コンクール 優秀賞・入賞など。
主な著書に『現代空間美学-建築において「美」を考える(単著)』『空間五感-世界の建築・都市デザイン(分担執筆)』『建築・都市計画のための空間学辞典(分担執筆)』など。
少林寺拳法二段。中島みゆきさんは、デビュー当時からのファン。
髙橋 浩伸
建築家
一級建築士
Architect
First-class architect
教 授
熊本県立大学
Professor
Prefectural University of Kumamoto
Hironobu
TAKAHASHI
理念(Philosophy)
デザインの目的
デザインの目的は、「誰かを幸福にすること」と考えます。
デザインの本質
「奇抜な形」や「派手な色」「煌びやかで多彩な装飾」を指し、「デザイン」と称されることがあるが、本来「デザイン」とは、作者(クリエーター)の「配慮」が形や色、材質などの〈もの・こと〉に表出したもの指し、これを「デザイン」と呼ぶ。
もちろん現実社会において「奇抜な形」や「派手な色」「煌びやかで多彩な装飾」が必要なものも存在し、一定量の需要もある。
ただ、この単に「奇抜な形」や「派手な色」「煌びやかで多彩な装飾」などは、「象徴性」や「独自性」を示すことができるが、そこに他者への「配慮」がなされてない場合、作者(クリエーター)の自己満足や自己主張だけの独りよがりに終わってしまう可能性が大きく、周りを不幸にしてしまう。
デザインの目的が、「誰かを幸福にすること」とする以上、「デザインの本質」には、他者への「配慮」や「やさしさ」が必要であり、これが無いと「誰かを幸福にすること」ができない。
すなわち、デザインの本質は「配慮」であると言える。
この「配慮」には、例えば『(家具などの)体に触れる部分に丸みをつける(使用時痛くないように)』とか『仕上げ塗料はできるだけ、人や地球に優しいものを使う』など、「奇抜な形」や「派手な色」「煌びやかで多彩な装飾」などは必要ない。
この作者(クリエーター)自身が考える他者への「配慮」が形や色、材質などの〈もの・こと〉に表出したものこそが、本来の「デザイン」であると考える。
真のデザイン(デザインの「表」と「裏」)
デザインには、「表」と「裏」がある。
デザインの「表」は、「新規性」や「創造性」といった、いわゆる「煌びやかな」一面。
この「新規性」や「創造性」は、人々を魅了し、新たな時代の方向性を示すといった大きな力を持っている。
一方で、煌びやかな一面だけに囚われ、自分を見失い、人々を幸福にできない作者(クリエーター)やその作品も少なからず存在する。
先程、デザインの本質が「配慮」と述べたが、これこそがデザインの「裏」の一面であり、この「表」の「新規性」や「創造性」と「裏」の「配慮」が「表裏一体」になったものこそ、「真のデザイン」と呼べる。
美
「形(かたち)」には意味がある。
そこには作者の思いが込められ、その思いを具現化したものが「かたち」である。
作者の意図無き「かたち」は、退屈で迷惑だ。
一般的に「美」というと、“煌びやか” で “多彩な” かたちだけを想像してしまうかもしれないが、デザインの本質が「配慮」であると考えると、作者の「配慮」や「やさしさ」が隅々まで行き届き、その「配慮」等が完結し、表出したものが「美」だと言える。
この場合の「美」は、人々に「感動」を与え、多くの人を「幸福」にする。
古より私たち人類は、「美」を「善」や「真」と等しく「美=善=真」と考えてきたが、上記のように考えると合点がいく。
デザインにとって「美」は、「真」であり「善」である。
誤解を恐れず言えば、あらゆる「もの・こと」に「美」は必要であり、「美」無くして「真」または「善」たり得ない。
建 築
「建築」とは、建築物(建物)をつくる人間の行為、あるいはその行為によってつくり出された建築物を指す。
しかし、ただ単に「箱」を造ることを指すものでもない。そこには当然ながら人間の営みが内包されるため、 私たち人間が空間をどのように認知し、どのようなふるまいをするかを考えなくてはならない。
すなわち「建築」は私たち人間のためにある。
私たち人間が、幸福で豊かな時間を過ごすための空間を創造すること「建築」と呼ぶ。
更に言えば「建築」とは「未来を創造する」ことでもある。
一方で「建築」は、少なからず地球を改変し、傷つけてしまう。この現実を直視し理解すれば、建築の見え方・考え方が違ってくる。
「この建築は(地球を傷つけてまで)必要なのか?」
「この建築で誰かを幸福にできるのか?(誰かを不幸にしていないか?)」
この二つの問いを常に自問自答する必要がある。
未 来
私たちは紛れもなく「現在(いま)」を生きている。
「未来」とは、まだ訪れていない「現在」だと言える。ただ「未来」は「現在」ではない。
「未来」は、「現在」と違う世界になるはずだ。もし10 年後、世界が現在と全く変わっていなければ、それは未来ではなく、未来は10 年以上先にならないとやってこないことになる。
「未来」は必ず「現在」とは違う。「未来」は「現在」の世界が元になっている。
「現在」の我々が、どう考え、どう行動するかで「未来」は決まる。
「未来」は、誰にもわからない。
どれほどの高性能の電算機で計算したとて、80億の多種多様な人間の活動とその他すべての生き物たちの営みや地球の鼓動すべてを読み切れるはずもない。ましてや地球外の宇宙の影響を考慮するなど、気が遠くなる。
昨今見られる未来予測の多くは、必ずと言っていいほど当たらない。そもそも当たるはずがない。
これら未来予想の多くは、過去の膨大なデータを元にして未来を計算しているため、人類の進歩や発達などの大きな方向性や流れのふるまいはある程度予想できても、個々の事象は到底予想できない。
「バタフライ・エフェクト」:非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながることを意味する言葉であるが、まさに未来に何が起こるかなど、予想できない。
また、『菜根譚』にこうある。禍不可避:禍(わざわい)は避けようとしても、避けられるものではない。
様々な不確実な事象を予想できるはずもない。
未来は必ず現在とは違う。
私が明日どうなるのか、誰にもわかるはずがない。例えいつもの時間に家を出て、いつものような同じルートで会社へ向おうと、過去と全く同じことなどないはずだ。80億の人間が過去と全く同じふるまいをするはずもなく、地球も常に動いている。
未来は、現在創られている。現在の行動が未来を創っている。
建築は未来を創造している。
私は建築の力を信じている。
Design philosophy
The purpose of "Design" is to make someone happy
(「デザイン」の目的は誰かを幸せにすることである)
Design without philosophy can't make people happy
(理念の無いデザインでは、人を幸せにできない)
Perfect design can't add anything, can't subtract anything
(完璧なデザインは何も足すことも引くこともできない)
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