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Hironobu TAKAHASHI

Hironobu

TAKAHASHI

日本美
日本における「美」を表す言葉は、「クハシ(細(奈良時代)」、「キヨラ(清(平安時代)」、
「ウツクシ(細小(鎌倉時代))」、「キレイ(清潔(室町時代))」、と変化して来た。
日本人の美の意識は、清なるもの、潔なるもの、細かなものと同調する傾向が強い。
「かすか」なもの、「ほのか」なものに美を認めるのは、日本の伝統であったと言ってよい。
「ひたすらなもの」、「あらわなもの」は避けられた。
平安時代の宮廷で最も高い美の範疇の一つであった「なまめかし」。
その意味するところは、「十分の心づかいがされているが、しかも未熟のように見える。」
あるいは「さりげなく、何でもないように見える。」であった。
派手で、鮮やかな色や、紅葉の盛りのようなものは「なまめかし」とは言わなかった。
「なまめかし」が、最高の美の一つとして、貴(あて、高貴)と並んで重んじられているのは、
まさに今日いうところの日本的な美の感覚の一つが、この平安時代に確立されたということを
示すものと見てよい。
同じく平安時代に見られる「あはれ」という美意識は、四季の自然の移り行きに、こまやかな
情趣を感じる心であり、また男と女の愛情がはかなく移ってゆくのを悲しむ言葉であった。
千年にわたる日本人の美意識の中核として今日もなお生きている感覚と言えるが、
残念ながら言葉として、今日そのまま生きて使われているとはいえない。
本居宣長の説いた「もののあはれ」も、あらわな表現を避けて、洗礼された繊細さを重んじる美を指す
このように、古の日本人が持っていた、さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという
奥ゆかしさの美を、今日の日本人は失いかけている。
日本の建築に見られる美意識も、この「さりげない深い配慮を尊び、決して誇張しないという
奥ゆかしさの美」を体現するものであり、この配慮は、形(かたち)となって表れている。
「形(かたち)」には意味があり、そこには作者の思いや配慮が込められている。
「形(かたち)」は、「心」の表れだ。


茶 室
空間を凝縮する。
この行為は、「空間の本質」を明確にすることに等しい。
「本質」で無い要素をきり棄てることである。
極限まで凝縮された空間は、たった二畳という狭さにもかかわらず、無限の広がりを見せ、そこでは濃密で深い親交が交わされる。
草庵茶室を完成させた千利休は、この凝縮された空間で、明日の命も覚束ない戦国武将たちと文字通り「一期一会」の時を過ごした。
現代人には想像もつかない、濃厚で重く、それでいて心安らかな時間を過ごす「空間」には、「本質」のみが求められた。
デザインの本質が「配慮」であるとする「眼」から見れば、このような茶室空間は、日本建築における「日本のデザイン」の極致であり、「日本美の象徴」と映る。
ここでの空間的要素は「配慮」という理念に貫かれ、「本質」を見い出すべく極限まで凝縮され、削ぎ落され、そして空間の「品格」を伴い昇華されていく。
泰平の江戸期や西洋化の嵐吹く明治期における我が国の先人たちは、このような茶室空間を見捨てず、継承してきた。
よくぞやってくれた。次は私たちの番だ。
