建築家の気概Ⅰ_堀口捨巳
『我々は起たつ。
過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。
我々は起たつ。
過去建築圏内に眠って居る総てのものを目覚めさんために溺れつつある総てのものを救はんがために。
我々は起たつ。
我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。
我々一同、右を世界に向って宣言する。』
分離派建築会
あまりに有名な「分離派建築会」の宣言文。
1920年(大正9年)、2 月1 日、東京帝国大学(現東京大学)の卒業を控えた石本喜久治、瀧澤真弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守の6名は、学生集会所において習作展を開催。
同7月、日本橋の白木屋(百貨店)にて、第1回作品展開催。
その時、作品集を自費出版し、そこに上の宣言を掲げた。この会場の来訪者には芥川龍之介、高村光太郎の名もあったという。
ほんの百年前の日本の建築家は、これほど熱く、真剣に建築を考え、語り、新たな日本を創ろうとしていた。