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わかりやすさの時代Ⅰ_具体と抽象

今の時代「わかりやすさ」がもてはやされている。

『初歩からの○○○○』『最もわかりやすい○○○○』といった文字や会話が溢れている。


わかりやすいとは、多くの人に支持されることを意味する。

選挙や商品開発など、どこを見ても人々の判断基準は「わかりやすさ」が大きくものをいう。

この「わかりやすさ」はいわゆる大衆化を意味し、多くの人に受け入れられる。


「具体と抽象」

言うまでもないが、「具体」とは、はっきりとした実体を備えている様を指し、「わかりやすい」。一方「抽象」とは、物または表象からある要素・側面・性質を見い出し把握・表現すること。人によってそれぞれといった部分があり、いわゆる「わかりにくい」。

「具体」は目に見えるもの・ことで、「抽象」は目に見えないもの・こととも言い換えられる。


よく組織において、トップの考えとスタッフの考えが違うことが知られている。

スタッフは、日々起きる様々な事象に対応し、業務を進めるため、過去と現在しか見えない。見る暇もないのが実情であろう。しかしトップは、未来への視点を持ち、現在打つべき手を打つ必要がある。そうしないと組織の未来は暗い。ここで両者に共通するのは現在である。過去から現在を見るか、現在から未来を見るかの違いである。これが両者の考えがかみ合わない原因であろう。


昨今の公共建築などの建築デザイン・建築設計においても「分かりやすさ(大衆化)」が求められる。

住民参加型のワークショップや説明会が開かれ、喧々諤々の議論が交わされる。しかし、多くの場合、この議論はかみ合わず、○○回開催したのでということで時間的に期限を切り半ば強制的に終了されることが多い。そして、誰かが描いた既定路線に則った結果に落とし込まれていく。

行政側は、“やることをやった”という開き直りと、参加者は、“言うことは言った”という自負を胸に。

傍から見れば、このような様相は茶番に見えてしまうが、現代における社会の中では、この俗にいうガス抜きの効果も必要であろう。

しかし、複数の建築家の声にあるように、このような過程を経た建築は最大公約数的建築ができやすい。何を目指したのかがぼやけてしまい、八方美人的多目的スペースとして、あらゆることに中途半端なものが出来上がる。中には成功事例も紹介されているが、数にすればほんの微々たるものであろう。

その原因は、先程の組織における視点の違いが大きい。このような議論で語られる内容のほとんどが、過去から現在を見た視点であり、現在から未来を見た意見が少ないからだ。


未来を語るべき場で、未来が語られない。


決して過去や現在を軽んじているのではない。過去や現在の問題点を語った後に必ず未来を語るべきである。それができないと第一楽しくないではないか。


未来を見る視点を「抽象」、現在と過去に立つ視点を「具体」とも呼べそうだ。未来は「わかりにくい」が過去と現在は「わかりやすい」。議論がかみ合わないのも、視点が違うのも「具体と抽象」。


私たちは、この二つの視点をうまく使い分け、明るい未来を創っていかなければならない。

それが現在を生きる私たちの義務であろう。

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